「心優しく、思いやりにあふれた大先輩」
■寺山正一(「日経ビジネス」編集記者)
この文章は日経BP社 社内報2002年5月号に掲載されたものです
どんな人生にも、思うに任せず途方にくれてしまう瞬間が訪れる。そんな時、どういうわけかタイミング良く目の前に現れて、黙って美味いものをご馳走してくれる。下戸だった小林さんがミネラルウォーターやウーロン茶のグラスを傾けている横で、静かにワインや日本酒をあおり、人生を語っているうちに、浮世の憂さなどどうでもよくなってしまう。私にとっての小林さんは、3年間を上司と部下として過ごした「日経ビジネスの前編集長」などという言葉では語り尽くせない、思いやりにあふれた心優しい先輩だった。
例をあげれば本当にきりがない。私が20代の後半で日経ビジネスのニューヨーク特派員として赴任した頃である。小林さんはちょうど今の私ぐらいの年齢で、日経新聞の花形特派員として名を馳せていた。
なぜ大先輩と親しく口をきき、些細な悩みを相談してアドバイスをあおぐようになったのか。そのあたりのいきさつは、いくら思い出しても記憶に残っていない。ただ、気がついたら一番頼りになる先輩として、出張先でも好んで後をついて回るようになっていた。
カナダとの国境沿いにある五大湖のほとりでミシガン大学のセミナーが開かれたのは、真夏のお盆前後だったはずだ。運悪く取材先とちょっとしたトラブルを抱えていた私は、日本で言えば軽井沢のような明るい雰囲気にあふれた高級避暑地に出かけるのは、一言で言って気が重かった。
いくら時間が余ったからとはいえ、2人でレンタカーを繰り出して岬の先まで走り続け、しゃれた燻製ハウスに飛び込んだのは、今思えば小林さんの思いやりだったのだろう。最初の一杯だけワインに口をつけていた小林さんはすぐに赤くなり、「帰りは俺が運転するからいくらでも飲んでいいよ」と炭酸入りミネラルウォーターに切り替えた。私はこれ幸いとばかり、がぶがぶとワインを飲み続け、見たことも聞いたこともないうまい燻製をほおばり、帰りの助手席で熟睡して「まあいいか」と一筋だけ流れる涙をかみ締めた。
そんな小林さんが日経ビジネスの編集長に就任することが決まったと耳にして、どれほど心強く思ったか。その理由を書き始めると当時、自分が途方に暮れていた個人的な事情に踏み込まねばならないので、ここでは触れないでおこう。ただ一言だけ、あのクールに見える小林さんが日経ビジネスの編集長を離れる最後の挨拶で涙にむせび、言葉が出なくなったのは今でも忘れない。在任時の献身的な努力がもしかすると健康を蝕む一因となったのか、と想像すると、今は申し訳ないとしか言いようのない複雑な思いがあふれ出る。
記憶に残るという言葉がある。不惑を前にしても大成どころか小成さえしない出来の悪い後輩だったが、私の中に小林さんはいつまでも生きている。私がこうして現役を続けている限り、一緒に雑誌を作り続ける大事な仲間なのだから、もう涙は流さない。
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