|
||||||||||||
仕事師
あれも予兆だったのか。去年の夏前、久しぶりに夕食を共にしたとき、「咳がなかなか抜けなくてね」と漏らしていた。 仕事師だった。昨年春、日経ビジネス編集長から復帰するなり「MJ創刊」に没頭、あっと言わせる斬新な新紙面を創り上げた。 いつも少し派手目のスーツを着こなし、語り口柔らかだった。ひょうひょうとした姿の裏に、京都人らしい芯の強さ、強者にこびない反骨精神が隠れていた。 テレビ解説の常連にもなり、各界に広く名前を知られつつあった矢先の急逝。あまりにも惜しい。 あふれる新緑に包まれ、ともにゴルフに興じたニューヨークの休日。君も懐かしく思い出していたに違いない。あの笑顔をもう一度見たかった。
このサイト上の各コンテンツの著作権は小林収メモリアルサイト制作グループもしくは、このサイトにコンテンツを提供していただいた各企業、各寄稿者に帰属します。無断転載はお断りいたします。 このサイトに関するお問い合わせはinfo@kobayashiosamu.net までお願いいたします。 |