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「MJ部長のコラム」(日経MJメールマガジンより)2001.8.8
小林収

『10年前は、米国が悲観論一色だった』

 参院選での自民党の圧勝で、小泉首相の言う「痛みを伴う構造改革」がさらに現実味を帯びてきました。選挙後に予想以上に株価が軟調なのも、企業や個人が景気の一段の悪化や金融不安、大型倒産に怯え始めている結果だと考えられます。
 しかし、「痛み」はどれほど厳しく長いのでしょう。僕は結構、楽観視しています。というのも、10年前の米国の復活劇をこの目で見たからです。

 1991年春、僕は日経新聞のニューヨーク特派員として米国に赴任しました。当時は湾岸戦争が終結した後の深刻な不況。IBM、GMといった星条旗を背負った企業が巨額の赤字に喘ぎ、中小の金融機関が破綻し、マンハッタンは日中からホームレスが徘徊して治安は最悪でした。一方で日本は潤沢なジャパンマネーで世界に君臨していました。ニューヨークタイムズ紙などは、米国は建国以来始めて世代を経るに従って貧しくなる衰退の世紀に入ったとして、「ダウンサイジング・オブ・アメリカ(縮む米国)」という連載を延々と続けたほどです。
 米国は悲観論一色でした。

 現実はどうだったか。1991年は、実は米景気が底を入れた年だったのです。企業の必死の合理化努力、政府のスリム化など官民そろっての体質改善策にIT革命が加わって、企業の収益力は大幅に好転。僕がニューヨークを後にした1994年秋には、もう「日米競争力の再逆転」が言われていました。時代の変化は、それほどまでに早いのです。

 1991年のアメリカと2001年の日本とを比較すれば、日本のほうが状況が厳しいとは決して言えません。最大の問題だった政治も、小泉内閣の登場でリーダーシップが回復してきました。日経MJを読んでいただけば、デフレ不況の中で着々と業績を伸ばしている新型の流通・サービス業がたくさん目に付くでしょう。悲観論にとらわれず、少し長い目で構造改革のミクロの息吹を感じることが今こそ重要な気がします。 



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