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『風のように』
「MJ部長のコラム」
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『風のように』
■永野健二(「日経MJ」編集長)
この文章は日経MJメールマガジン2002年4月10日号に掲載されたものです。

4月6日発行の土曜日のMJは、読んでいただけましたでしょうか?
 いつもなら赤い題字が、今週から火曜日、木曜日と同じ青に変わりました。欄外の「日経MJ」という呼称や日付も、しゃれたデザインになったこともお気づきでしょうか。

 4月から日本経済新聞社で発行する新聞は、原則一段11字の大字化を実施しました。読者の反響はまずまずですが、日経MJでは、とりわけ土曜日の紙面刷新に力を注ぎました。
 中でも一面の『風をよむ』という新企画は目玉です。6日号ではペーパークラフトデザイナーの高橋孝一さんを取り上げました。

 このコラムの名付け親が、日経MJ部長(流通経済部長)として私と一緒にメールマガジンの連載を担当していた小林収でした。
 彼がこの名前に託していたのは「21世紀の生き方を先取りするような人たち」でした。「日経MJはいつでも時代のフロンティアを紹介していかなければ」と言っていました。

 その小林収の葬儀が、4月6日に行われました。49歳の若すぎる死です。亡くなったのは4月3日、丁度一年前に日経MJが衣替えをして『デフレに克つ銀座』というトップ記事でデビューした日でした。

 メールマガジンの読者からは、いつのまにか休載となっていた小林くんのコラムについてたびたびお問い合わせをいただきましたが、詳細をお伝えできませんでした。

 昨年12月に病魔に倒れて以降も、2月初めまでは執筆を続けていました。
 日経MJの紙面には、至るところに彼の足跡が残っています。
 昨年3月まで2年間日経ビジネスの編集長をつとめ、35万部のお化け雑誌にしたときの勢いを日経MJの紙面改革で見せてくれました。
 編集者としてまさに旬でした。

 その彼が、彼の言葉そのままに「風のように」逝ってしまいました。
 残った我々も頑張らなければなりません。日経MJを引き続きよろしくお願いします。



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