小林収さんへの追悼メッセージ
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「とてつもなく大きな喪失感
小林光代夫人の手紙
友人知人からの追悼メッセージ

小林収氏を偲んで
■河野通和(中央公論新社・雑誌編集局長兼中央公論編集長)

小林さんから「『ニッパチ会(仮称)』発足の呼びかけ」というFAXが送られてきたのは、2001年6月11日のことである。発信時刻は12時40分となっているが、当時の彼の仕事の流れでいうと、どういうタイミングだったのだろう。

少し長くなるが、以下にその全文を紹介させていただきたい。

昭和28年生まれ(巳年)の皆様へ

年男(女)などというものは意識しないで人生を送ってきたのですが、どうも今年は感じがちょっと違います。21世紀が始まり、50歳の「大台」まで後2年、ビジネス界の友人からは「転職」「退職」といったお知らせが頻繁に届くようになりました。以前に「48歳の抵抗」という作品がありましたが、いろんな意味で、ここは節目なのかもしれません。

考えてみれば、昭和28年生まれというのは不思議な世代です。ひとことで言えば、「上に団塊・下に新人類」でしょうか。我々が大学に入ったころ、団塊世代を軸とした学園紛争はすでにピークアウトしていました。そして、3、4年後になると、「朝日ジャーナル」などではなく、「ポパイ」を手に持った連中がキャンパスに入ってきました。悪く言えば中途半端な立場ですが、「団塊と新人類の双方が見える多様性と客観精神を持つ世代」だと自己美化することも可能でしょう。

世代論はさておき、巳年の今年に28年生まれが、業界の垣根を超えて集まり、語るのは意味があると考えます。口頭では皆様の賛同を得ましたので、ご案内を送る次第です。ともあれ、一度、集まってみませんか。

呼びかけ人  小林収

彼がいかにすぐれたジャーナリスト、エディター、マネジャーであったか、またそれ以前にいかに信のおける友であり、魅力的な男であったかということについては、他の方たちの文章に譲りたい。ただ、こんな呼びかけをしていた男が、それから1年もたたないうちに病に倒れるとは、本当に運命の皮肉としか言いようがない。議論の末に会の名称を、1953年生まれの集まりだから、「ゴサン(誤算)」の会にしようと言ったのも、いまとなっては悪い冗談だったとしか思えない。「人生思いのままならず」を、こんな形で自ら証明しなくても良かったのだ。

私としては、残されたニッパチ組の一人として、せめて彼の遺思を大切に持ち続けたいと考えるばかりである。

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