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「日本型経営」改造ビジョン

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「内なる官僚体質」と決別を

新潮社「フォーサイト」1997年1月号掲載

 年末から年始にかけては宴席、パーティーの季節。今回はどの会合でも、口を開けば日本の官僚制度の腐敗と行き詰まりが話題になった。住専問題や薬害エイズといった明らかな行政の失敗に加え、厚生省の岡光序治前次官を筆頭にして個々の役人の汚職事件も相次いだ。マスコミや民間人からの非難のトーンが高まるのは当然だろう。
 だが、一つ気になることがある。官僚を批判する民の側に、時として自分たちの問題を棚にあげての一方的な官僚バッシング(叩き)が見られることだ。
 銀行マンはバブル処理での大蔵省の失政を非難するが、大手銀行の頭取でここ数年の数千億円もの赤字計上の責任をとって辞任した者はひとりもいない。役所の「前例主義」の硬直性を嘲笑する企業の首脳が、新規事業進出で「他社はどうなんだ」という「横並び主義」から脱却できないでいる。本社の部長から子会社の役員に転籍したサラリーマンが、役人の「天下り」を批判する──。
 実は日本の官僚の病は、相当部分、民の側も共有している。官民を問わず、日本的な組織の編成原理には共通する部分が多いからだ。官僚制度を批判するその矢を、同時に自分の方にも向けなければ、無責任な言いっ放しになってしまいかねない。
 そこで、自らの「官僚体質」を本音でチェックするためのリストを作ってみた。企業に勤めている人間を念頭に置いているが、以下の二十問について、あてはまると思うものに○をつける。あなたはいくつだろうか――。

〈カルチャー〉
(1)仕事の内容、報酬が同じでも肩書にはこだわる
(2)報告書のスタイルの細かな違いが気になる
(3)電子メールだけで連絡するのは失礼と思う
(4)上司が残業しているとき、一人では帰りにくい
(5)廊下などですれ違った際、若手の方から会釈がないとムッとする
(6)オフィスでのファッションは地味が一番と思う
(7)社宅に住むことに抵抗はない
(8)本音の議論や根回しは就業時間が終わった後の「アフター5」にする
(9)取引先などから一方的に接待されても、特に相手に便宜を図らなければ問題はないと思う
(10)ゴルフや会食で「送り迎えの車」を出されるのに抵抗はない

〈制度〉
(11)昇格、昇給では入社年次のベースを大きく崩すべきではない
(12)入社時の成績はその後も昇格などにある程度反映させてよい
(13)昇格にともなって、個室や秘書、車など給与以外の付帯給付(フリンジベネフィット)が増えるべきだ
(14)上司が部下を査定すべきで、その逆は論外
(15)信賞必罰が行きすぎるとモラールは低下すると思う
(16)社員の退職後の就職斡旋はある程度企業の責任だ
(17)「他社がやる」あるいは「やりそう」というのは、新規事業進出決定の理由になる
(18)「前例がない」は拒否の理由になる
(19)外国人はたとえ日本語が堪能でも同僚にはしたくない
(20)異性や中途入社者が上司になるのは抵抗がある

 チェックの結果はこんな感じになる。
◇民間人(○が一個―五個) まだ官僚の病には毒されていません。いくつか○が付くのは日本人の証拠。
◇官僚化初期(○が六個―九個) 体質の官僚化が始まっています。官僚批判をする時は自分の胸に手を当てて。
◇半官・半民(十個―十四個) 感覚が相当に官僚化しています。企業の管理職なら変化への障害物になっています。
◇民僚(十五個以上) 民間企業に勤めていても、本質は官僚そのもの。マスコミの官僚批判にも違和感があるでしょう。
◇エイリアン(ゼロ個) あなたの感覚はほとんどシリコンバレー。でも、日本の同僚からは「異邦人」扱いでは。

民間企業にも官僚の声が……

 筆者自身は○が五つ。ぎりぎり民間人にとどまっているようだが、友人たちにやらせたところ「半官・半民」が結構出現した。
 日本人の中に官僚体質の人間が多いのは、官僚組織に代表されるシステムが比較的最近まで日本でうまく機能してきたためだ。
 第一に人材の採用、登用では、学歴重視と年次主義が最も効率的だった。情実や縁故なしに幅広く人材を求めるには、一流校を出て入省(社・行)の際の成績が優れているというのが最も客観的な基準だった。そして、入った年次を基準に横並びで昇進する制度は安定感と仲間意識を持たせる上で役だった。
 民間企業ではこうした制度は崩れてきてはいる。ただ、出身大学のブランドには依然こだわりが残っているし、昇進制度では年次主義に代わる基準をまだ確立できないでいる。
 第二に報酬面では、勤労現場での平等主義と退職後の「天下り」による生涯所得の補充がうまくバランスを取っていた。課長の時は比較的薄給にして個人差を付けずに競争心を高め、「先憂後楽」の形で後でその分を補填していた。民間でも関連会社の役員に出てサラリーマン生活を全うするケースが多い。
 官庁の場合は、「次官が出ればその同期は全員退職」との不文律も加わって、組織の老齢化を防ぐ効果もあった。
 第三に意思決定面でも、高度成長期においては横並び主義も競争促進の効果があった。先例主義も欧米というモデルがあるうちは有効だった。
 しかし、こうした官僚制をベースにおいた日本的なやり方が機能した時代は終わっている。
 いまや人材に求められる最大の資質は創造力であって、試験の成績ではない。今のシステムは受験エリートを選択するだけに、逆に必要な人材が漏れ落ちる危険が高い。黙々と働けば老後に報われるという報酬制度も、今のままでは野心的で能力のある若手をつなぎとめておくことは不可能だ。
 世界で最もダイナミックに動きつつある米国社会では、「ビューロクラット(官僚)」という言葉には悪い、否定的な響きがある。「何もしない」「形式主義」「リスクを取らない」──というイメージだ。
 米国で伝統ある巨大企業の「社内文化革命」に成功したゼネラル・エレクトリック(GE)のジャック・ウェルチ会長は、社内組織の官僚化を緑の芝生に生えるタンポポにたとえたことがある。米国ではタンポポは芝生の美観を損なう雑草だが、土深くに根を広げ、抜いたと思ってもまた生えてくるしつこさを、官僚主義になぞらえたのだ。
 日本の官僚主義は文化、伝統に根ざした部分もある。米国以上にその根は深く張っている。一人一人が自らの内なる官僚体質をチェックしていかないと、民間企業にも官僚の病が伝染しかねない。



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