小林収さんへの追悼メッセージ
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心優しく思いやりにあふれた大先輩
小林収編集長時代
小林収編集長インタビュー
書籍「こんな経営手法はいらない」
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小林編集長インタビュー
1999年03月〜05月

1999年 3月〜5月6月〜8月9月〜11月12月〜00年2月
2000年 3月〜5月6月〜8月9月〜11月12月〜01年2月

1999年3月1日号
速水 優氏[日本銀行総裁]
 今回の特集取材では意外なほど日銀側が取材に積極的な対応を見せてくれました。年初からの「豪華社宅」報道や、日米政界からの「国債引き受け論」など“包囲網”のような日銀への批判に対し、中堅行員を中心に危機感が相当高まっているようです。
 とはいえ、実質ゼロ金利の容認という最近の誘導目標金利を見ても、従来型の金融政策には限界を感じます。
 歴史的にインフレファイターとして存在感を見せてきた中央銀行のデフレ下での役割は何か――。速水総裁は国債引き受けには断固反対ですが、この問題に何らかの答えを出さないと政治からの風圧はやみそうにありません。


1999年3月8日号
立川 敬二氏[NTTドコモ社長]
 世間が不景気な中で、いま最も元気な会社はNTTドコモかもしれません。携帯電話という急成長している巨大市場でシェアを上げているわけですから、株主資本利益率(ROE)などさまざまな経営指標でも日本企業で断トツの位置にあります。そんな会社のトップである立川社長の発言は、予想通り大変強気なものでした。
 ただ、気になるのはやはりNTTのグループとしての独り勝ちです。通信という最重要なインフラでの独占は決して望ましいことではありません。新電電の育成、外資の参入、NTTグループ内での競争、何らかの形で良い競争状態を保つ必要もありそうです。


1999年3月15日号
佐藤 安弘氏[キリンビール社長]
 前回のこの欄でNTTドコモの立川敬二社長は、市場の怖さを強調して「あの強かったキリンでもシェアが急降下した」と語っていました。そんな例に引かれるほど、確かにここ10年ほどのキリンのシェア低下とアサヒの躍進は劇的でした。
 ですが、どうやらキリンも自信を取り戻してきたようです。大企業の大幅赤字転落が相次ぐ今3月期決算を後目にキリンは99年12月期に2ケタの経常増益を目指します。危機感をバネにした、「傍流」社長による大胆なリストラと新製品の開発。このキリンの復活モデルは多くの日本企業にとっても参考になるかもしれません。


1999年3月22日号
澤田 秀雄氏[エイチ・アイ・エス社長]
 弊誌の長寿コラムに「敗軍の将、兵を語る」がありますが、ここ1、2年、ここに登場する敗軍の将にベンチャー経営者が増えています。日本の閉塞状況打破へ向けたベンチャーへの期待の高さとは裏腹に、貸し渋りや既存大企業との競争激化によって、むしろ死屍累々というのが現実です。
 その中で澤田社長が旗手であり続けているのは、冒険心の裏に冷静な判断力があるためでしょう。無借金経営のうえ、スカイマークへの投資や他への出資でも、決して無理のない範囲に収めています。自分を「危険」「賢くない」などと突き放して見ることができる限り、安全操縦は保てそうです。


1999年3月29日号
森 稔氏[森ビル社長]
 新聞記者のころ、小生は香港とニューヨークに駐在した経験があります。いずれの都市も首都ではないのに、金融、交通、文化、観光などで高い機能・魅力を持ち、世界中から観光客やビジネスマンを呼び込んでいました。
 ボーダーレス化が進む21世紀は再び「都市の時代」ではないでしょうか。経済統合された欧州で都市間競争が激化しているのは、その兆候です。
 アジアでもビジネスセンター機能を巡って東京、香港、ソウル、シンガポールで一段と激しい競争が起こるでしょう。その意味からも東京をどう再生するか、不動産事業を熟知する森さんの論には傾聴すべき点が多そうです。 


1999年4月5日号
藤田 田氏[日本マクドナルド社長]
 藤田田社長といえば、ワンマン経営者の代表というイメージがあります。非上場会社で株式の50%を保有し、それで業績好調というのですから、誰も文句の付けようがないわけです。
 その藤田さんが株式公開を機に経営のやり方を大きく変えようとしています。全社員にストックオプションというのは日本の大企業には例がありませんし、経営の世襲も明白に否定しました。売り上げ1兆円に向けて進むには個人の力では限界があるから、と理由を言われましたが、こうした冷静な判断は創業経営者にはなかなか難しいもの。それができるところに、この人の強さを見る気がします。


1999年4月12日号
西垣 浩司氏[NEC社長]
 前号の弊誌の特集「新世紀マネジメント」で、「トップの経営能力のせいで潜在成長力が生かされていない企業」を有力アナリストに選んでもらったところ、NECは堂々?第2位にランクされました。逆にいえば、技術、人材、ブランドなど経営資源は十分にある、と評価されているわけです。
 その意味でトップが大変わりした今年は正念場。カリスマ的リーダーが退いた後は、時として「凡庸の団結」に陥ることもあります。情報、通信、半導体と成長分野に3本柱を持ちながら、“総合電機病”に罹っていたNECが復活するかどうか。日本のハイテク産業の将来にとっても目が離せません。


1999年4月19日号
塙 義一氏[日産自動車社長]
 社会を大きく変えたという意味で、20世紀は「自動車の世紀」だといえます。メーカーをみても、1903年創立のフォードなど欧米勢の多くは世紀初頭の設立で、国産1号車も1904年でした。そして今世紀も残り2年となって、業界には国境を超えた大再編の波が押し寄せています。
 このアルマゲドン(最終戦争)を勝ち抜くカギは「経営の国際化」です。米国、欧州、日本という文化の違う3大市場でどう総合的に事業を展開するか。ダイムラークライスラー誕生に続く日産・ルノー提携をみると、新車開発以上に経営戦略が業績を左右する時代になったといえそうです。


1999年4月26日号 鳥羽 董氏[ダイエー社長]
 昭和50年代の半ばまで小売業界を担当していた小生にとって、昨今のダイエーの凋落には信じられないものがあります。当時のダイエーは流通革命の旗手であり、イトーヨーカ堂をも凌ぐ存在感を誇っていました。
 頭に浮かぶのは「成功体験の復讐」です。インフレを期待した先行投資と規模拡大によるバイイングパワーというかつての武器は、経済成長が止まるとともに急速に輝きを失っています。
 鳥羽社長の真の課題は、ダイエーに“文化革命”を起こすことでしょう。IBMなど復活した米企業のように大胆に過去の成功体験を否定できるか。それが、再生のカギになりそうです。


1999年5月3日号
弘兼 憲史氏[漫画家]
 サラリーマンを主人公にした漫画は枚挙にいとまがありません。中堅ゼネコンに働く気楽な平社員を主人公にした『釣りバカ日誌』は映画でシリーズ化され、元暴走族の頭からの転身劇である『サラリーマン金太郎』もテレビドラマになりました。
 ですが、細かな部分まで一番リアリティーがあるのは「島耕作」でしょう。弘兼氏が会社勤めの経験があるうえ、サラリーマンの主軸である団塊の世代に属しているためと思われます。
 「伸びている業界は必ずある」「50歳を過ぎればもう少しわがままに生きよう」といったメッセージは、悩める団塊層には福音かもしれません。


1999年5月10日号
ルイ・シュバイツァー氏[ルノー会長兼最高経営責任者(CEO)]
 シュバイツァー氏のオフィスはパリのルノー本社の8階、セーヌ川を見下ろす位置にあります。黒を基調とした室内には、コルビジェなど現代作家の彫刻、オブジェが多数置かれ、いかにもフランスを代表する企業のトップの部屋らしいたたずまいでした。
 エナ(ENA=国立行政学院)に象徴される仏の高等教育制度には賛否両論ありますが、米英流が世界を席巻する中で仏が大国の地位を保っている原因がエリート層の強さにあることは確かでしょう。官から転じながら政府の介入を抑えて元国営会社を甦らせた氏の手腕をみると、いい意味でのエリート教育の必要性を改めて感じます。


1999年5月17日号
横山 清氏[ラルズ社長]
札幌市内にあるラルズのディスカウント店「ビッグハウス」では、活けの毛蟹を1杯650円で売っていました。確かに「感動的な安さ」です。
 それを可能にしているのが地域密着の超ローコスト経営です。ラルズはバブル崩壊後に遅れて多店舗化を開始したため、最初から投資効率やキャッシュフローを強く意識した経営を取らざるを得ませんでした。それが、デフレ下で強みを発揮しています
 横山社長は同社の出店・運営のノウハウをユーモラスに「貧乏人の知恵」と表現します。カネが回りにくいデフレ時代をどう生き抜くか。この知恵は他の業界にも参考になりそうです。


1999年5月24日号
大槻 忠男氏[再就職支援最大手、日本ドレーク・ビーム・モリン社長]
 米国流経営に対する日本人の誤解の1つに「人員削減が簡単」というのがあります。確かに、数千人、数万人単位の大レイオフが米国で多いのは事実ですが、そこは名だたる訴訟社会。人員削減のやり方に明らかな行き過ぎや違法行為があれば、従業員は黙っていません。日本の一部で見られる「いじめ」による退職などは言語道断です。
 日本で雇用の流動化がもはや避けられない以上、必要なのはリストラのノウハウでしょう。従業員の尊厳、モラールを維持しつつどう流動化を進めるか。これは日本DBMのような専門業者に任せるだけでなく、官民合わせて考えるべきことかもしれません。


1999年5月31日号
荒木 浩氏[東京電力社長]
 電力会社といえば民間企業では最も官僚的とのイメージが強いのですが、歴史をたどると必ずしもそうではありません。日本が国家をあげて統制経済の道を歩んでいた1936年、ある電力会社のトップは国営化論に反発し、公の席上で「官僚は人間の屑」と批判しました。その人物が「電力の鬼」と称された故松永安左ヱ門氏です。
 荒木社長の6年間は、大げさに言えば、松永的な魂の60年ぶりの復活ではないでしょうか。もしも景気対策として設備投資増額要請がきておれば、強い政府批判が聞かれたかもしれません。普通の会社になった東電の時計の針は戻さないでほしいものです。



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