小林収さんへの追悼メッセージ
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心優しく思いやりにあふれた大先輩
小林収編集長時代
小林収編集長インタビュー
書籍「こんな経営手法はいらない」
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小林編集長インタビュー
1999年09月〜11月

1999年 3月〜5月6月〜8月9月〜11月12月〜00年2月
2000年 3月〜5月6月〜8月9月〜11月12月〜01年2月

1999年9月6日号
ケネス・シュノールト氏[アメリカン・エキスプレス・カンパニー社長兼COO]
 小生が米国駐在時代にアメックスのクレジットカードを利用していて、明らかに他のカードより安心できたのはクレーム処理でした。米国ではカードを盗まれて使われてしまうことが時として発生しますが、その際に会員の立場に立ってきっちり処理してくれるという信頼感は何物にも代え難いものです。インターネットという全く新しい決済の場では、確かにアメックスのブランド力は強みかもしれません。
 創業から150年にわたって時代の変化に対応してビジネスの軸足を移していく――初のアフリカ系米国人CEOの誕生といい、この柔軟な経営の遺伝子が同社の長寿の秘密なのでしょう。


1999年9月13日号
海老沢 勝二氏[日本放送協会(NHK)会長]
 小生の家にテレビが来た日は昭和30年代の半ばでした。衝撃度は後の「3C(カー、クーラー、カラーテレビ)」以上で、文字どおり世界が変わったと感じました。理由は、圧倒的なコンテンツ(情報の中身)です。まだ白黒とはいえ、動画の持つ情報量はラジオなどの比ではなかったのです。
 その意味で、今回、テレビが再び未来を拓くかどうかのカギもコンテンツが握っています。海老沢会長は番組制作というソフトではテレビ局が絶対優位と語っています。各局がデジタル化の中でどれだけ魅力的なコンテンツを作れるか。日本の閉塞状況を開くためにも知恵が求められています。


1999年9月20日号
鈴木 敏文氏[イトーヨーカ堂社長、日本チェーンストア協会会長]
 個人消費における最近のブームの足の早さはちょっと異常かもしれません。例えば「だんご3兄弟」です。かなり前のヒットのように感じますが、実はテレビ初登場は今年の1月で、CD発売は3月。大ブームはほぼ半年で完全に終息してしまいました。
 商品寿命がこんなに短くなってくると、メーカーや小売りは大変です。置いていないと機会損失がおきますし、ブームが過ぎると過剰在庫です。解決策は結局、鈴木さんのいうチーム・マーチャンダイジングの強化しかないのでしょう。そのコンセプトを一貫して説き続けているところに、イトーヨーカ堂グループの強さを感じます。


1999年9月27日号
森下 洋一氏[松下電器産業社長]
 松下電器といえば、かつては「販売の松下」というイメージでしたが、最近は、「人事の松下」ではないかと密かに思っています。ここ4、5年に導入された新型の人事・賃金制度は左ページの表のように目白押し。退職金の“前払い”や、60歳からの再雇用などは大きな話題になっています。
 もともと、松下は創業者の幸之助氏の下で学歴など不問の実力主義と、ヒトを切らない人間重視の哲学が同居してきました。その遺伝子が相次ぐ新制度導入につながっているのでしょう。ライバル視されるソニーに比べると地味な感じの松下ですが、体質改善の手は着々と打っているようです。


1999年10月4日号
ルイス・ガースナー氏[IBM会長兼最高経営責任者(CEO)]
 1992年から93年にかけ、米国では社外取締役の“反乱”による実力CEO解任事件が相次ぎました。GM、アメックス、コダックなどで、中でも話題を呼んだのがIBMです。何しろ米国の誇りと言えるハイテク企業でしたから、ガースナー氏に対しては、リストラへの期待の一方で、「ビスケット屋にコンピューターがわかるか」という声があったのを覚えています。
 それから6年、IBMは文句の付けようがない復活ぶりです。マッキンゼーを振り出しに、アメックス、ナビスコで経営トップを歴任したガースナー会長はいわば経営のプロ。言葉の端々にプロの威厳と自信を感じました。


1999年10月11日号
鈴木 幸一氏[インターネットイニシアティブ(IIJ)社長]
 経営に関するカルチャーショックとは、今回の鈴木社長のようなケースを言うのでしょう。日本の銀行を意識して利益を確保する経営をしていたら、インターネットの本場の米国から本末転倒だと強く批判されたのですから。
 確かに、米国のインターネット関連企業は目先の利益より、急成長市場でのシェア、影響力を最重視して経営を進めています。それも起業家だけでなく、投資家も同じ考えで疾走するのが米国の強さなのでしょう。特集ではe革命で「日米逆転」の可能性を分析しましたが、日本にとってのアキレス腱は革命に向けてカネを流す金融システムにあるのかもしれません。


1999年10月18日号
中西 輝政氏[京都大学総合人間学部教授]
 中西さんの『なぜ国家は衰亡するのか』の中に、ビザンチン帝国が「世界史の奇跡」として出てきます。大帝国の多くが短命に終わった中で、実に1000年の命脈を保ったからです。その秘密は、多くの外来文化を柔軟に取り入れながら、「自ら」を保ち続けた、という1点にあると指摘しています。
 実は、この柔軟性は日本文化の特徴とも言えます。仏教伝来後の「本地垂迹」、明治期の「和魂洋才」、そして戦後の「TQC」と日本は外来の物をうまく取り入れて独自に発展させてきました。中西さんが言うように、今の日本にこの柔軟性がなくなってきたことが大きな問題かもしれません。


1999年10月25日号
ジョン・F・ウェルチ氏[ゼネラル・エレクトリック会長兼最高経営責任者(CEO)]
 ウェルチ会長との単独インタビューは、小生にとってこの6年間で3度目になります。最初はニューヨーク駐在時代の1993年、日本に戻って96年、そして今回です。驚くべきことに、会うたびにGEの経営スタイルは構造的に進化しています。
 同会長に最初に付いた渾名は、「ニュートロン(中性子)ジャック」でした。大胆な人員削減策を、建物は残すが人はいなくなる中性子爆弾になぞらえたもので、最初のインタビューでこの点に触れると「ひどい渾名だったね」と苦笑されました。しかし、93年の時点では、ワークアウトに代表される草の根からの活性化策が実り、ハード(事業)のリストラに代わって人材を生かすソフトのリストラが前面に出ていました。もうニュートロンジャックは死語同然でした。
 96年でのトピックは全社的な品質管理策「シックスシグマ」です。これによる持続的な収益改善は鮮明で、米国内ではウェルチ流経営に関する書籍が数多く出版され、評価はうなぎ登りになっていました。そして今回はネット時代への戦略を明快に打ち出したのが印象的でした。ウェルチ会長に対しては20世紀を代表する名経営者の1人との評価が定着しています。
 時代に合わせてこのように機敏に舵を切れるのは、同会長自ら誇りにしているGEのラーニングカルチャーがあるからこそでしょう。実際、ワークアウトのルーツは米国民主主義の原点であるタウンミーティング(自治体の会議)で、シックスシグマは日本のTQC、ネット対応はシリコンバレーの企業群から学んだものです。
 日本企業が活力を失った大きな理由の1つに、バブルの時期、「米国から学ぶものはもう何もない」と発言するほど傲慢になったことが挙げられます。米国を代表する名門大企業ながら、他者の優れたアイデア、ノウハウを吸収し、自らに合った形で消化してきたGE。そこにこそ、日本企業が学ぶべきものがあるように思われます。


1999年11月1日号
安居 祥策氏[帝人社長]
 大変、失礼ながら、安居さんが社長になられたとき、ここまで大胆に改革を断行されるとは思ってもいませんでした。ご本人がおっしゃっているように、本命ではなく、若くもなく、「新鮮味のないトップ交代」というのが大方のマスコミの評価だったからです。
 それが、あのデュポンを相手に対等以上に交渉し、経営改革でも先頭を切っているのですから、株式市場での好評価も当然でしょう。とはいえ、合繊事業を取り巻く環境は決して良好とはいえません。欧米の巨大化学会社が後込みしている分野へ日本企業があえて踏み込んでいくわけで、今後、さらに細心の舵取りが必要なようです。


1999年11月8日号
西川 善文氏[住友銀行頭取]
岡田 明重氏[さくら銀行頭取]
 今回のインタビューで一番印象に残ったのは、「時間軸は早まった」という西川頭取のセリフでした。確かに、3行統合、住友・さくら合併、損保の大合同という一連の流れは、金融再編のスピード加速を改めて印象づけています。情報通信技術(IT)の世界では「ドッグイヤー(7倍速の時間)」という言葉が当たり前になっていますが、それがIT以外の世界にもひたひたと押し寄せてきた感じです。
 それだけに、個々の企業戦略の重要性は今まで以上に増してきました。「時の流れに身を任せ」は、歌はともかく、経営では禁物。ドッグイヤーを乗り切る知恵が問われています。


1999年11月15日号
チャールズ・シュワブ氏[米ディスカウント・ブローカー最大手チャールズ・シュワブ創業者兼会長]
 インターネットで成功している米国企業で、技術ではなくサービスを前面に打ち出すケースが増えてきました。AOLしかり、そして今回のチャールズ・シュワブも「ハイテク&ハイタッチ」を売り物にしています。
 これは偶然ではなく、革新的な新技術が普及し大衆化していく時に一般的な現象です。一般大衆にとっては、通信速度が毎秒何ギガバイトだとか半導体の動作周波数が何百メガヘルツとかいった数字は関心の外です。スタンフォード出身でシリコンバレーの風を浴びてきたシュワブ会長が人的接触の重要性を力説するところに、ネットビジネスの変化を感じます。


1999年11月22日号
クレイグ・R・バレット氏[インテル最高経営責任者(CEO)]
 この秋以降、来日した米企業のトップには共通見解があります。それは、日本でのインターネット関連事業の将来性に対する確信です。IBMのガースナー会長、GEのウェルチ会長、そして今回のバレット社長と、強気さは同じでした。特にインテルは日本のベンチャー10社以上に出資を考えているというのですから、真剣です。
 ネット関連企業の場合、起業時点から早ければ早く出資するほど、後の見返りが大きいというのが米国での常識です。それを踏まえて先物買いに出ているわけで、株式同様、未公開企業でも「外国人買い」が“市場”をリードするのかもしれません。


1999年11月29日号
亀井 静香氏[自由民主党政務調査会長]
 政治家に対する編集長インタビューを誰から始めるべきか、と悩んで、まずは亀井さんにご登場願いました。テレビなどでの知名度ではなく、自民党の政調会長として政策立案の文字どおり要に位置するからです。現に、介護保険の問題では、是非はともかく、会長発言から流れが大きく変わったのは紛れもない事実です。
 2世議員が闊歩する政界にあって、亀井さんは「退職金を使って自分で選挙ポスターを張って歩いた」と自ら言うたたき上げ。米国流経営への見方や財政問題などいささか乱暴な意見だとは思いますが、大衆の勘所はつかんでいるという気がしました。 



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