小林収さんへの追悼メッセージ
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心優しく思いやりにあふれた大先輩
小林収編集長時代
小林収編集長インタビュー
書籍「こんな経営手法はいらない」
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小林編集長インタビュー
2000年03月〜05月

1999年 3月〜5月6月〜8月9月〜11月12月〜00年2月
2000年 3月〜5月6月〜8月9月〜11月12月〜01年2月

2000年3月6日号
トーマス・エンジバス氏[テキサス・インスツルメンツ会長兼社長兼最高経営責任者(CEO)]
 「選択と集中」というのは現在のマネジメントのキーワードの1つですが、ここ数年の最大の成功例は携帯電話機でのノキアとDSPのTIではないでしょうか。両社とも、その時点ではそれほど大きくなかった分野に全経営資源を振り向け、黒字部門を含めて他事業をすべて売却しました。見通しがはずれれば、両社とも中小企業になってしまいかねなかったのですが、隆盛ぶりはご覧の通りです。
 経営者には、やはりここ一番の度胸が不可欠だということでしょう。そういえばCEO就任の年齢はノキア、TIとも40代前半から半ばでした。度胸にはやはり若さが必要なようです。


2000年3月13日号
西岡 喬氏[三菱重工業社長]
 インタビューに先立って三菱重工の長崎造船所を見てきました。蒸気タービンの製造工程などを目の当たりにすると、西岡さんの言う「ITだけがハイテクではない」というのが実感できます。「重厚長大」と揶揄されながらも、日本の重機械産業の持つモノ作りの技術蓄積は大変なものです。
 これまでは、技術力が必ずしも収益性に結びついていませんでしたが、今後はどうでしょう。IT産業に急傾斜する米国企業には、重厚長大分野で新規投資する余力がほとんどありません。やり方次第では、三菱重工が世界市場で「残存者利益」を獲得する可能性もあるような気がします。


2000年3月20日号
氏家 純一氏[野村証券社長]
 バブルの時期に収益日本一の座に就いたこともある野村証券は、その後、忍耐の時代が続きました。経営陣の相次ぐ不祥事に、不動産や海外市場での多額の損失が加わり、「最強軍団」のイメージは地に落ちたものです。
 ですが、ようやく雌伏は終わったようです。株式市場の活況もあって収益は急回復し、NRIが公開されれば巨額の評価益も期待できます。もともと氏家さんは、難関で有名な米シカゴ大学で経済学博士号を取ったほどの国際派。世界的に銀行・証券の合併や淘汰が進む中で、10年ぶりに吹いてきた追い風をどう生かして「ノムラ」の強さを復活させるか、注目されます。


2000年3月27日号
ジョン・リード 氏[シティグループ最高経営責任者(CEO)兼共同会長]
 総資産規模では邦銀が世界一ですが…、と聞いたときのリードさんの反応が忘れられません。両手を開いてちょっと肩をすくめる米国人お得意のポーズを取り、「利益なら200番?」と答えたのです。銀行にとって、今や総資産規模などナンセンスというメッセージを全身から送ってきました。
 インタビューの後、たまたま、独でのドイツ銀とドレスナーの合併、日本での三和、東海、あさひの統合というニュースが続きました。マスコミは総資産規模で前者が世界2位、後者が3位などと序列を付けていますが、そこにこだわっている限り、シティには永久に追いつけない気がします。


2000年4月3日号
鈴木 修氏[スズキ社長]
 編集長になって延べ80人からのインタビューをこなしてきましたが、鈴木さんほどの「インタビューを受ける達人」は滅多にいません。こちらの質問に対して、明確なメッセージを出したり、ちょっと身を乗り出すようなニュースを挟んでみたり、そして肝心要の所はぼかしをかけたり――。活字ではなかなかニュアンスは伝わりませんが、大変な言葉の使い手です。
 貿易摩擦から業界再編まで激変が続く自動車業界で、気がつけば社長の座にあること22年。業界内では小企業のスズキにこれだけの存在感を持たせているのは、まさにトップの力量だと改めて感じました。


2000年4月10日号
奥田 碩氏[トヨタ自動車会長]
豊田 章一郎氏[トヨタ自動車名誉会長]
張 富士夫氏[トヨタ自動車社長]
 トヨタという会社を見ていると、どこか懐かしい感にとらわれます。バブルに踊らず、バブル崩壊にも自信を失わず、つまり日本の「失われた10年」をパスできた企業だからでしょう。2兆円の余裕資金を持ち、「カンバン」が英語になった今も、トップ3人は「もっと強く」と手綱を緩めません。
 考えてみれば、戦後の高度成長を支えた多くの日本企業と日本のビジネスマンには、全身を耳にして環境変化に備える危機意識とモノ作りに代表される自らの強みへのこだわりがありました。その“原型”を残すトヨタが世界で真に通用するのか。それは日本の21世紀をも左右する問題かもしれません。


2000年4月17日号
大川 功氏[CSK会長兼セガ・エンタープライゼス会長]
 インターネットベンチャーの経営者は多くが20〜30代で、先頃、来日したある米国の起業家は何と15歳でした。若者が主役のこうしたネットビジネスで異彩を放っているのが、73歳の大川さんです。昨年には自分の名前を付けた戦略子会社を設立、年内にグループ会社を20社近く株式公開しようとしており、古希を越えて経営展開のスピードが上がっています。
 根っこにあるのは「ネット時代を先取りしてきた」という自負と、「事業は1代」というある種の諦観でしょう。CSKグループの将来がどうなるかはともかく、インタビューしていて非常な迫力を感じました。


2000年4月24日号
伊藤 龍郎氏[あさひ銀行頭取]
室町 鐘緒氏[三和銀行頭取]
小笠原 日出男氏[東海銀行頭取]
1年足らずの間にこれほど業界地図が激変したケースは前代未聞でしょう。3行統合、住友・さくら銀合併に続く今回の3行連合で、邦銀は4つのメガバンクに集約されてしまいました。あさひ・三和・東海連合はこの中で最後発であり、スピード重視のネット時代に立ち遅れた感も否めません。
 ただ、産業界には昔から「フォロワーズ(追随者の)メリット」という言葉があります。リスクを取って先行するより2番手で行った方が安全確実との意味です。先行者に優位性があるのは確かですが、邦銀の統合問題は複雑かつ微妙。意外に、後発メリットが生きるのかもしれないと感じました。


2000年5月1日号
ピーター・タスカ氏[アーカス・インベストメント取締役]
 タスカさんのユニークさは、経済分析に「地理軸」「歴史軸」が入ってくることだと思います。現代日本を論じながら、独仏の最近の企業改革と比較したり、19世紀の英国の衰退問題に飛んだりする手法は普通のエコノミストからは出てきません。
 その人物にして、インターネット革命の行方はなかなか見通しが難しいようです。我々としては「2カ月で状況が変わる」世界だと認識した上で、“常識”に囚われないよう動くしかないのでしょう。その意味で、「早いもの勝ち」「ベンチャー優位」といったネット時代の通説に対するタスカさんの疑義には頷けるものがあります。


2000年5月8日号
福武 總一郎氏[ベネッセコーポレーション社長]
 岡山に本拠を置き、「宴席嫌い」でもある福武さんは、注目企業の割にはあまりマスコミなど表には出てこられません。しかしながら、今回のインタビューのメッセージは極めて明快でした。今のような不透明な時代にあってトップが、「楽しい」「見えてきた」を連発するのは異例のようですが、インターネット革命の大波と自分たちのビジネスモデルの親和性をそれだけ肌で感じておられるからでしょう。
 その福武さんの情報源の「7割が社員」というのも驚きです。小生が言うと変ですが、まずは社内の知恵、アイデアに耳を傾けるというのは経営の鉄則かもしれません。


2000年5月15日号
佐伯 達之氏[ナスダック・ジャパン社長]
 2月7日号の弊誌で特集した「ネット株が危ない」は不幸にして的中しました。実態のないまま買い上げられたバブルは崩壊し、厳しい銘柄選別が始まっています。我々はこれを本当の意味での規律あるベンチャー市場定着のための糧にしないといけません。
 その意味で重要なのは、店頭、マザーズに続く日本版ナスダックです。米国を支えるハイテク企業の揺りかごとなった米ナスダックの精神とシステムをどこまで日本に移植できるか。日本IBMの首脳としてグローバルスタンダードを熟知する佐伯さんの手綱さばきには、この国の資本市場の未来がかかっているかもしれません。


2000年5月22日号
成田 豊氏[電通社長]
 単独では世界最大の広告会社である電通は、日本でいわば神話的な存在感を持っていました。売上高1兆2935億円、経常利益258億円(1998年度)という規模もさることながら、巨大イベントをプロデュースする人脈、ノウハウ、政治力など数字に出ないパワーが畏怖されていたからです。
 その電通の株式公開は、いかにグローバル競争が激しくなってきたかを象徴するものでしょう。公開は企業にとって一種の成人式。経営方法、会計制度、情報公開など非上場の時のような“未成年”扱いは許されません。公開を機にこの巨人がどう変わるのか、同業ならずとも関心は高そうです。


2000年5月29日号
石津 進也氏[旭硝子社長]
 三菱グループが日本最強の企業集団だった頃、一等いい会社は実は社名に「三菱」の冠が付いていないところ、と言われたものです。それが東京海上火災保険、日本郵船、キリンビール、そして旭硝子でした。良き伝統を共有しながらも独自性を保ってきたことがエクセレンスの理由だったのでしょう。
 グループの地盤沈下が目立つ今も、状況は変わっていないようです。旭硝子の業績は「危機」と言うには大げさですが、「シュリンク・トゥ・グロー」「雑木林経営」を標語に必死の体質改善を進めています。三菱マンらしからぬ軽妙な口調の端々から、石津さんの危機感の強さが漂ってきました。



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